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2009.02.25

きれいな肌に関する知識と思考のプロセス

キレイになるためのスキンケア

「キレイな肌」になる、そしてキレイでい続けるには、肌についての知識がまず重要です。その上で、「正しい方法」を実践し続けることが大切です。

このプロセスの欠如は誤解に基づく知識や方法の実践・継続につながります。

まずキレイな肌とは正常に形成された角質層です。
角質層は皮膚の表面に作られるわずか0.02ミリの薄いものです。

角質層は皮膚の表面からさらに0.2ミリ奥の表皮基底層というところで分裂した細胞が徐々に押し上げられ、死滅し、たんぱく質の繊維と脂質が重なり合ったバリアです。
この構造が形成される過程で、水分を抱えるアミノ酸、表面を覆う皮脂膜が作られることで正常な状態となり、「体を守る」という役割を果たせます。

ところが体質的に脂質の生成がうまくいかない場合や、間違ったスキンケアを継続した場合、正常なバリア構造を維持できません。

それでも、「体の外の環境」が生命維持の脅威であることに変わりはありません。ですから皮膚は「角質層が正常でない場合の防御反応」を起こします。

これが結果的に敏感肌や乾燥肌・肌荒れ、そしてひいてはニキビや赤ら顔の症状が続く決定的な原因になります。

この解決には正常に角質層が形成・維持できることが最優先課題であり、逆にいえば、角質層が正常に機能していれば、「防御(トラブル)反応」が沈静化する過程でトラブルは解決されます。

その具体的な方法が「日常的に行うスキンケア」です。

先ほどからお話しているように肌トラブルの原因は「角質層が正常でない場合の防御反応」です。

ですから、このような反応が「起きないようにしておく」ことが重要です。どんなに「起きるな」と考えても、皮膚が刺激に反応することを止めることはできません。皮膚は私たちの意思とは無関係に自動的に反応し続ける仕組みになっています。(だから私たちは生きていくことができます。)

※「お肌をキレイにしたいと考える場合」では、この皮膚の仕組みを「基準」として考えることが必要です。日常的な利便性や、情緒的な宣伝文句は「お肌をキレイにするための基準」にはなりません。考えのプロセスが間違っていると、方法も間違います。「お肌をキレイにしたいと考える場合」、どんなにがんばっても結果は得れません。

皮膚は体の一番表面ですから「日常的に」反応を起こす必要があります。そうならないために角質層があります。
しかし角質層が正常に作れない、ということから慢性的なトラブルを起こさざるを得ないということです。

つまり日常的にスキンケアを行うのは、「常に正常に角質層を形成できている」ということを目標とするからです。

具体的には清潔・保湿・保護の3項目を行います。すべて必要です。

少々簡単に言うと、これらの「一連の行為」によって

汚れや細菌への防御反応
紫外線への防御反応
乾燥への防御反応

を「起こさなくていいようにする」ということです。
「正常な角質層と同じ状態」を「これらの手間」を掛けることで維持するということです。

もちろん、清潔・保湿・保護も、自己流で行ったり、成分の薬理作用を期待して行うと失敗します。
方法を間違ったスキンケアは、スキンケアを行うこと自体がマイナスの刺激になるからです。

ですから、「お肌をキレイにしたいと考える場合」では、「指導どおりの方法を実践」することが欠かせないことになります。

再三お話したように、皮膚は「生き物の役割」を淡々とこなします。
「できるだけ手軽でカンタンでコストのかからない方法」というのは「消費者の要求」としては私は理解します。
が、肝心の「皮膚」は、「消費者の要求」に答えてくれる人体器官ではありません。

「自分のお肌をキレイにしたい」と考える場合では、皮膚とは何か?をよく理解し、「自分が」お肌に何をしてあげれるか?という立場でスキンケアに励むことが大切です。

そして結局は、それが一番手間も費用も時間もかからずに、「きれいな肌になる」というゴールに着けます。
急がば回れというのは、そういうことです。

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2009.02.19

村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ

村上春樹のエルサレム賞、受賞スピーチが話題のようです。
テレビ、新聞を見る時間があまりなかったので、まるで知りませんでした。

ちょちょっと検索すると、翻訳がありました。

以下引用~~

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、仏教の僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、軍に徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深い仏教の祈りを捧げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気

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